2010-09-21

米作り

先日、波乗りの先輩のN沢さんに誘われて、岩手・前沢へ稲刈りに行ってきた。

仙台から前沢へは車でゆっくり走って2時間程、東北道路の平泉前沢ICを降り、バイパスを抜けて雄大な景観の北上川を渡ると、懐かしさが溢れる田園地帯に到着する。



稲刈りの時期は例年だと10月みたいだが、今年は猛暑の影響なのか稲の生育が早く、異例の9月での稲刈りとなった。
この日は、前日までのぐずついた天気とは打って変わって、朝から好天に恵まれた。



慣れない百姓、暑さ、中々思ったように動かない体、等等、最初は想像以上の過酷さを痛感したが、序所に喜び、充実感を感じることができ、最後は達成感に変わっていった。

米作りは人の命をつなぐ為に必要な大事な仕事であり徳行である。
今回ほんのわずかだが貢献できて良かったと思う。



石井秀明さんプロデュースのサーフ・ムーヴィー「ON THE PLANET(「地球にて」)」において、
収穫をむかえた黄金の稲田を前に、高橋太郎さんから語られるメッセージを紹介したい。

「あのー人間と同じで、立ってる時が若気のいたりで、頭が垂れて来た時に刈り時なの。
で、普通のプロの人は、そこで農薬入れたり、肥料撒いたりするから、何十日もかかるけど、これはたった五日の米作り。
これをねぇー、みんな若いサーファーがやればねー、アルバイトなんかしないで波乗りし放題、ね。
それをね、やってほしいの。
空いてる田圃はいくらでもあるよ。」──高橋太郎
「あの高橋太郎さんが米を作る。
それは食うことを自らまかないその呪縛から
解き放たれるためのものであったのか。
食とはすなわち生きることであり、
生きることとはつまり波乗りなのである。」──石井秀明

上記については「サーフトリップJournal Vol.9」(P105~)にて詳しく解説されている。
高橋 太郎
1941年生まれ、東京都出身。パイオニア・サーファー。1960年、自身が19歳の時、日本で最初に現在の国産サーフボードの原型を製作・商品化したこ とで知られる。1963年2月には、ボードメーカーとして、ダックスサーフボードを設立。また、1965年のNSA(日本サーフィン連盟)の創設メンバー の一人として、さらにはJPSA(日本プロサーフィン連盟)の前身であるJSOの理事長を歴任するなど、日本のサーフシーンを牽引。現在は、千葉県で山仕 事を生業とする傍ら、2007年11月に設立されたNPO法人「レジェンドサーファーズ・クラブ」の最高顧問として後進の育成とサーフィンの普及に奮闘し ている。


最後に、N沢さんからのメッセージです。

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